留学終盤に考えたこと | フランス交換留学(10)

交換留学シリーズの最後となる今回は、留学生活の終盤に考えていたことを振り返ってみたいと思います。 「今回の留学を通じて、たくさんのことを学びました。」——そう言ってしまえば簡単ですが、できるだけ具体的に言語化して残しておきたいと思いました。 将来の自分への記録として、そしてこれから留学に行こうか悩んでいる方の参考になればという思いから、率直な考えや感じたことを書いていこうと思います。 

※記事が少し長くなってしまいました。批判的な内容や踏み込んだ話も多いので、その点は先にお伝えしておきます(笑)。


ソルボンヌ大学(La Sorbonne)の大ホールに立つ古代ギリシアの詩人ホメロス像。
西欧的学問の源流を象徴し、今も静かに学生たちを見つめている。

留学先での授業

まずは、これまであまり書いてこなかった「大学での授業」について振り返ってみたいと思います。

交換留学シリーズでは、これまで事務的な側面や生活面に焦点を当てた記事が多くなっていましたが、振り返ってみると実際に最も時間と労力を費やしたのは、やはり勉強でした。

フランス語、スワヒリ語、日本社会、アフリカ社会(政治)を中心に、語学と自分の専攻を掛け合わせた履修を組み、一年間を過ごしました。幸い、私は低学年時の努力もあって、所属大学への単位互換を行わない形で留学できたため、プレッシャーを感じることなく、のびのびと学ぶことができました。その中で多くの発見がありました。

1、直接法は意外といける

まずフランス語の語学の授業について。中上級レベルであったことも関係していますが、「外国語で外国語を学ぶことは可能だ」と実感しました。

日本語を母語とする学習者が、日本語でフランス語の文法を学ぶ方法を「間接法」、一方でフランス語をフランス語で学ぶ方法を「直接法」と言います。外国語教育の世界ではよく知られた区分ですが、この“直接法”を長期間体験したのは今回が初めてでした。

日本では、これまでいくつもの言語を日本語を媒介に学んできたものの、その言語そのもので学ぶ経験はありませんでした。

フランス語の授業では、配布プリントをもとに読解を行ったり、グループに分かれて議論したり、ニュースを見て意見を述べたりと、多様な活動がありました。自分の考えを長文にまとめたり、要約を書いたり、発音を改めて学んだりと、まさに4技能すべてをバランスよく伸ばせる環境だったと思います。フランス語に浸りながら新しい知識を吸収することで、上達のスピードも確実に上がりました。

とはいえ、初級段階では直接法は効率の面でやや劣る部分もあると感じました。特に、暗記や文法整理を得意とするタイプの人にとっては、「使いながら覚える」というプロセスに抵抗を感じることもあるでしょう。

余談ですが、留学中には日本語学習者と出会う機会が多くありました。

日本語教師資格の取得を目指すようになった私にとって、この経験は貴重な財産です。今回の学びを生かし、「良い日本語教師」になれるよう努力していきたいと思います。

2、外国語で外国語は学べる

授業の振り返り、2つ目はスワヒリ語の授業についてです。

スワヒリ語は日本で少し触れたことがある程度で、本格的に学ぶのは今回が初めてでした。つまり、フランス語を使ってスワヒリ語を学んだということになります。

初級の段階では、扱う単語や表現が限られているため、フランス語がペラペラでなくても理解できます。むしろ、外国語(フランス語)で別の外国語(スワヒリ語)を一から学べるという発見がありました。

少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとってこれは“革命的な気づき”でした。

1つ目の気づき(=直接法の有効性)と合わせて考えると、非常に興味深い結論が導けます。

すなわち——

  • 初級→中級:他の外国語を媒介に学ぶことができる
  • 中級→上級:その言語の環境に浸ることで伸びる

という二段階の学習モデルが成り立つのです。

つまり、日本では教材や教師が少ない言語でも、「ある程度近い外国語」ができれば学べる、ということです。

例えば、ケチュア語を学ぼうとすると、日本語では文献がほとんどありませんが、スペイン語が少しできればケチュア語に関する教材や研究書を見つけることができます。

今こうして書いていても、「なぜこんな当たり前のことにここまで感動したのか」と少し不思議に思いますが(笑)、留学当時の私には本当に新鮮な発見でした。

3、学問の中心は西欧(少なくとも今のところは)

私は日本で教育を受け、大学まで進学してきました。

けれど、改めて気づかされたのは——日本語で書かれた教科書も、日本語で説明される学問体系も、その多くが西欧から来たものだということです。

フランスで政治や社会の授業をフランス語で受けながら、「フランス語って、こんなにもアカデミックな言語なんだ」と感じる場面が何度もありました。

日本の大学でどんな分野の基礎科目を取っても、政治専攻だった私は、講義の初回で必ずと言っていいほど、レジュメの最初に古代ギリシャ人の言葉を見てきました。

そう、西欧の学問の歴史はギリシャやローマから始まり、その積み重ねの上に今の体系があるのです。

そしてその価値観は、植民地化を通じて世界中に輸出され、学問や教育という形で根付いていきました。

でも、それを単に「植民地主義の結果」とだけ説明してしまうのは、どこか違う気もします。

学問という営みの根底には、“真実”や“理想”を客観的に追い求める姿勢があり、それはある意味で、西欧における一種の“信仰”のようなものでもあると感じました。

確かに、学問は非常に客観的で、理性的な営みです。

けれどその「客観性」自体が、西欧の長い歴史の中で培われてきた信念体系の一部でもある。

そのことを忘れてはいけないと、強く思いました。

とはいえ、そうした西欧的学問の環境では、あらゆるテーマが議論され、少数者や弱者の視点も掘り下げられています。

そこには、社会を変えるエネルギーが確かにあると感じます。

おそらく、伝統的な社会では「研究」や「探究」はごく一部の人の営みでした。

でも今は、より多くの人が教育を受け、何かを学び、考え続けています。

つまり、人類史上これほど多くの人が“何かを探している時代”はないのだと思います。

それは、世界をより便利に、効率的に、そして豊かにする可能性を秘めています。

ただその一方で、やはり——

学問という営みが西欧の文化圏に深く根付いていることは、忘れてはいけない。

そう感じています。

4、授業について

語学の授業では、全員がほぼ同じフランス語レベルで、フランスという新しい環境に身を置いて学んでいました。

一方で、現地の学生に混ざって受けた「語学以外の授業」では、カルチャーショックも多く、内容面でも多くの発見がありました。

初めのうちは、母語以外の言語で授業を受けることに少し抵抗を感じる瞬間もありました。

けれど人間というのは不思議なもので、1か月も経つと自然に慣れてしまいます。もちろん、日本にいた頃に積み重ねた努力の成果も大きいと思いますが、「思い切って現地に飛び込めば、案外なんとかなるものだ」と感じました。

授業を通して得た学びを細かく書けばキリがないのですが、ここでは特に印象に残った2点を挙げたいと思います。

①多言語・多文化を学ぶことの重要性

有名なサピア=ウォーフの仮説では、「人間の見る世界は言語によって規定される」と言われています。

そして、より穏やかな仮定である「少なくとも世界の一部は言語によって形づくられている」という考え方も、今なお多くの支持を集めています。

INALCOでの授業を通して感じたのは、「世界はどれほど西洋的な視点で語られているか」ということ、そして「私たち自身が無意識のうちにその視点を再生産している」ということでした。

たとえば、中国の宗教を扱う授業では、「宗教」という中国語の成り立ちを religion と比較するところから始まります。

この2つがまったく異なる歴史的背景や価値観のもとに生まれた言葉であることは、少し調べればすぐに分かります。

また、「アフリカ」という言葉で語るとき、主語があまりに大きいことにも気づかされました。

「アフリカ社会」や「アフリカ文化」といった枠組みは、いったい誰が、どんな意図で作ったものなのでしょうか?

アフリカ大陸には多様な社会や文化、経済圏があり、それらをひとまとめにすること自体がすでに一つの“視点”なのです。

さらに、日常の中にも偏りは潜んでいます。

たとえば、「なぜ大きな目が美しいとされるのか」「なぜ絶壁頭の坊主は“似合わない”とされるのか」。

私たちは知らず知らずのうちに“当たり前”という名の基準で他者を縛り、また自分自身もその基準に縛られて苦しむことがあります。

だからこそ、学び、そして批判的な視点を持つことが、自分自身の人生を生きる第一歩なのだと強く感じました。

②日本社会への批判的な視座

INALCOにはヨーロッパ最大級の日本学部があり、日本社会に関する研究が非常に盛んです。

授業は、日本語を学び、日本的な感性や文化をある程度理解している学生を対象に行われており、その内容は多角的で包括的でした。

教育、政治、社会制度、思想——どのテーマも深く掘り下げられており、受けるたびに「自分は本当に自分の国のことを理解していただろうか」と問い直される思いがしました。

もちろん、留学前からそれなりに社会問題には関心を持っていたつもりですし、毎日新聞も読んでいました。

それでも、フランスの授業で提示される視点は、自分では見えていなかった角度から切り込んでくるもので、感動すら覚える瞬間がありました。

自国の文化や社会構造を知るというのは、言ってみれば「自分の常識や感性を内側から剥ぎ取る」ような作業です。

本当に自分の国について考えたいのなら——

無条件に愛国心を持って伝統や文化を肯定することでもなく、「それはそういうものだ」と諦めてしまうことでもない。

冷静に、そして感情に流されずに、一定の距離を取って見つめることが必要だと感じました。

ということで、どちらの学びも共通しているのは、「批判的な視座を持ち、社会を見つめ、学び続ける」という姿勢です。

まさに、フランスの大学で学ぶ留学生らしい結論かもしれません(笑)。

ちなみに、この「言語文化ブログ」では、まさにこうした信念のもとに、文化や社会を見渡しながら、私たちが無意識に抱える“常識”や“抑圧”から少しでも自由になれるような記事を書いていくつもりです。

堅苦しくなりすぎず、でもちゃんと意味のある言葉を——そんなバランスを大切にしていきたいと思います。

5、キャンパスでの交流

同じ授業を履修したクラスメイトたちも、強く印象に残っています。

現地生といっても、必ずしもフランス人だけではありません。

INALCOは本当に国際色が豊かで、多様な背景を持つ学生が集まっていました。

あえてフランス人学生について振り返るなら——

まず感じたのは、彼らの「言語化する力」のすごさです。

議論の場面はもちろん、日常のちょっとした会話の中でも、自分の意見や感情を言葉にするのがとても上手でした。

日本と西洋のコミュニケーションスタイルの違いはよく知られていますが、フランス人の場合は特に、教育や文化の影響もあって、どんなテーマに対しても複数の角度から意見を述べる習慣があるのだと思います。

この点については、いずれ別の記事でじっくり掘り下げてみたいと思っています。

フランス語の授業で一緒だったイタリア人のクラスメイトたちは、とにかく積極的でした。

ヨーロッパの教育機関では(少なくともINALCOでは、教授によって多少の違いはあるものの)、「教える側」と「教わる側」が対等な立場で対話することが授業の基本になっていると感じました。

その雰囲気は、日本の「教壇からの一方通行」的な授業スタイルとは対照的で、とても刺激的でした。(もちろん学校や教授にもよりますが)

他に印象に残っているのは、戦争を受けて移住してきたロシア人やウクライナ人の学生たちです。

彼らは互いに支え合いながら、フランスという新しい環境で働き、学び、そして学部進学を目指して努力していました。

ニュースではつい「国家」や「国籍」という枠で世界を見てしまいがちですが、その向こうには確かに“人の営み”があるのだと、改めて感じました。

同時に、日本の大学がまだ多様性という点でいかに閉じているかも痛感しました。

もちろん単純な比較はできませんが、日本では大学が「みんなが通る一本道」になっているのに対し、フランスの大学はさまざまな人生の交差点のような場所に感じられました。この違いはキャンパスで生活する学生にとっても大きな違いとなっているのだと思います。

同じアジア出身の学生とも多く出会いました。

中国、台湾、韓国、ベトナムなど、背景は違っても、話していると「世間の目」や「社会的な圧力」が人生の大きな要素になっている点は共通していると感じました。

人間関係や同調圧力の中で悩みながらも、自分の意思で道を切り開こうとする仲間たちの姿は、とても心強く、これからも自分を支える存在になると思います。

もうひとつ強く心に残っているのは、移民の学生たちです。

特に印象的だったのは、ラマダン(イスラームの断食月)に招待してもらったコモロ人の家族の夕食会でした。

そこでは、現代の先進国では失われつつある「家族の濃密なつながり」が生きていました。

一人ひとりがその日に感じたことを語り合い、心を開いて対話する——そんな時間に、胸を打たれました。

家族という共同体がなぜ存在するのか、人と人がなぜ共に生きるのか。

その問いの答えを、私はあの夜の食卓で見た気がします。

パリで暮らすということ

言語や文化の学習、そして旅行を通じて、国内にいながら世界に触れてきた私でしたが、今回の留学で初めて「一年間、拠点をパリに置いて暮らす」という経験をしました。

一年というのは、人によっては短く感じるかもしれません。

けれど、その密度や学びの量を考えると、私にとっては十分すぎるほどの時間でした。

では、実際にどんな収穫があったのか。

この記事では、留学終盤に考えていたことを、当時の日記をもとに再構成しています。

つまり、日本に帰国した後に得た気づきではなく、あくまで「帰国直前の空気感」のまま書いています。

「海外で暮らすということ」ではなく、あえて「パリで暮らすということ」にしたのは、主語を大きくしすぎたくなかったからです。

とはいえ、ここで書く内容の中には、日本国外で暮らす人全般に共通する部分もあると思います。

1、常識や“当たり前”に従わなくてもいい

これは現代に生きる人なら、一度は耳にしたことのあるフレーズでしょう。

けれど実際に「常識や当たり前に従わない」とはどういうことなのか、深く考えたことがある人は多くないかもしれません。

この“常識”や“当たり前”というものは、至るところに潜んでいて、見つけるのは簡単ではありません。

なぜなら、それは社会が秩序を保つために自然と形成され、人が無意識のうちに従うようにできているからです。

もちろん、「常識を壊せ」とか「法律を破れ」と言いたいわけではありません。

もう少し具体的に説明してみます。

2、坊主にしたかった話

実は留学中、一度坊主にしようと思ったことがありました。

髪型をいちいち気にするのが面倒だったし、乾かしたり寝癖を直したりするのも本当に嫌だったからです。

身近にスキンヘッドの友人がいて、それがすごく快適そうに見えたのも理由のひとつでした。

友人に話すと「いいんじゃない?」と言われましたが、念のため日本語で検索してみたら、

「頭の形が悪い人は似合わない」というコメントを見つけました。

確かにそうか、と思いながら図書館で読んでいた本の中で、西洋的な美意識が世界中に広まった歴史を知りました。

古代ギリシャ人は左右対称や完全な円形を理想とし、そこから「美」の基準が形成されていった。

そう考えると、頭の形を気にするのも、実はその“美の常識”に従っているだけなのだと気づきました。

私の頭は後ろがまっすぐなので「似合わない」ことになります。

でも、それを「似合わない」と感じて納得していたのは、結局、誰かが作った基準に自分が従っていただけだったのです。

(結局、日本では「坊主=ヤクザ」というイメージも根強く、就活で実害が出る可能性が極めて高いのでツーブロックで我慢しました…笑)

それでも、これは私にとってひとつの“常識の呪縛”から解放された経験でした。

3、勝ち組・負け組という幻想

もう少し普遍的な例を挙げましょう。

日本には「勝ち組」「負け組」という言葉があります。

さまざまな使われ方がありますが、私が通っている慶應という環境で耳にするのは、主に就職や経済的成功の文脈です。

でも、留学を通じて何度も確認したのは、そもそも彼らは“勝っても負けてもいない”ということでした。

なぜなら、「勝ち」や「負け」はルールがあって初めて成り立つからです。

サッカーなら、制限時間内に多くゴールを決めたチームが勝ちです。

ハーフタイム中にいくらボールを入れても得点にはなりません。

ルールの中でしか“勝ち負け”は存在しないのです。

では、人生は勝負なのか? 就職は勝負なのか?

結論から言えば、「それを勝負だと信じている人」にとってだけ勝負になります。

一流企業に就職して“勝った”と感じる人もいれば、そもそもそのルール自体に興味がない人もいます。

たとえるなら、公園で「だるまさんがころんだ」をしている人たちがいるとして、

別の場所で「鬼ごっこ」をして全力疾走している人を見て「負けた」とは言いませんよね。

ルールが違うのです。

にもかかわらず、社会では一部のルールを“唯一の基準”として、他人に「敗者」のレッテルを貼ってしまう。

そればかりか、本人までもが「自分は負けた」と感じてしまう。

それはあまりにももったいないことです。

自分で選んでもいないルールの中で、劣等感を抱く必要はない。

けれど、残念ながら多くの人は、他人が作ったルール——つまり常識や“当たり前”——を信じて生きているのです。

ルールは、いろんな本を読み、いろんな人と話し、考え抜いたうえで、自分で選ぶべきです。

あるいは、自分で選べないなら、少なくとも「信じるに値するルール」を見極めるべきです。

ちなみに、「人生は一度きり(YOLO)だからやりたいことをやる」というのも、

西洋や日本の若者文化ではひとつの“勝利条件”になっています。

でも、もし「自分に従う」と決めたなら、欲望に飲み込まれないように注意したい。

自由と放縦は似て非なるものだからです。

とにかく、何に従うのかを意識すること。

そして、今、自分が無意識のうちに従っている“当たり前”を分析してみること。

それが、パリでの生活を通して私が学んだ、最も大きなことのひとつでした。

4、もっと旅をするべき!

フランス人がバカンス好きだというのはよく知られています。

もちろん、そこには経済的な状況や休暇の取りやすさなどの社会的背景もあります。

ですから「フランス人はバカンス好き」というより、「フランス人にとってバカンスが身近なもの」だと言うほうが正確かもしれません。

いずれにしても、フランスで暮らして感じたのは――もっと旅をしていいんだということでした。

(これは国籍の話ではなく、あくまで私自身の考え方がフランスで変わった、という意味です。)

私はもともと旅が好きでした。

学んだ言語を使うために海外を訪れたり、国内でも電車に乗ってあてもなく歩いたり――そんな時間がとても好きでした。

ただ、どこかで「旅は特別なもの」「何か理由がなければ行ってはいけないもの」だという思い込みがあったのだと、フランス滞在中に気づきました。

実際には、ただ場所を変えてみるというだけで、思考や価値観が驚くほど新鮮に入れ替わることがあります。

一つの場所に留まることで錆びついたような考え方が、移動によって再び動き出すのです。

パリからはヨーロッパ各地へのアクセスが非常に良く、周辺国はもちろん、バルカン半島や北アフリカにも足を運びました。

それぞれの土地で多くの人と出会い、話をし、考えることになりました。

けれど結局、どの旅でも向き合う相手はいつも自分でした。

そうして気づいたのは、旅は単なる移動ではなく、自分の内面をめぐる冒険でもあるということです。

結局のところ、「今」を本気で感じ、考え、生きること――それこそが旅の本質なのだと思います。

「旅は人生を変える」と言いますが、実際に変えるのは旅そのものではありません。

新しい土地や文化を知ることが直接人生を変えるわけではなく、

旅を通じて自分に向き合い、生き方を考え、行動に移したときに初めて何かが変わるのだと思います。

結論として、旅は停滞した思考を洗い流し、自分が“世界の中で生きている”ことを思い出させてくれる行為です。

だからこそ、何かが詰まったとき、行き詰まりを感じたとき――旅に出ることは、きっと一つのヒントになり得る。

それが、私がヨーロッパで得たもう一つの大きな学びでした。

5、日本は“出づらい”仕組みになっている

海外に旅行したり、留学したりすると、誰もが一度は考える――

「日本を出て、海外で暮らす」ということ。

私もパリで1年間暮らす中で、同じように考え、実際にいろいろ調べてみました。

その結果わかったのは、日本で生まれ育った私たちには、想像以上に多くの“見えない壁”があるということでした。

①海外=“異世界”という感覚

日本語で「海外」という言葉を使うとき、

そこには単に「日本の外」という意味以上のニュアンスが込められているように思います。

どこか「異世界」的で、日常から切り離された特別な場所――。

その感覚が、私たちの思考の前提になっているのかもしれません。

②「海外出張」「海外駐在」への憧れ

就職活動をしていると、「海外出張」「海外駐在」という言葉をよく耳にします。

キラキラ目を輝かせて海外で働くことを夢見る学生たち。

けれどよく考えてみると、これらはとても受け身的な“海外”の形です。

本来、海外に行きたいなら自分で行けばいいはずなのに、

「会社に派遣されて行く」という形が“立派なこと”として扱われている。

そもそも、現地で雇用すれば済むはずのところを、

日本企業がわざわざ多くの日本人を駐在員として送り続けている。

それは、日本社会の「組織依存」の文化の表れでもあります。

“海外に出る”ことでさえ、個人ではなく組織を通して行うのが普通――これが、日本の特殊性のひとつです。

③「海外旅行」というハードル

「海外旅行」と聞くと、多くの人が「高い」「特別」「一部の人だけ」といった印象を持ちます。

けれど実際には、そんなことはありません。

ツアーか個人か、航空会社、宿泊形態、行き先、食事スタイル――選び方次第でコストは大きく変わります。

むしろ問題なのは、“海外旅行=贅沢”という思い込みです。

それは、SNSなどで見える“上の世界”ばかりを参照しているからかもしれません。

結果として、私たちは「今の生活への感謝」を忘れ、

「自分の世界を広げる」という本来の意味での旅の価値を見失っているように感じます。

④「日本は安全」という神話

もう一つの思い込みが、「日本は安全な国」というイメージです。

もちろん、他国に比べて犯罪率が低いのは事実でしょう。

けれど、ニュースでは殺人や暴行事件も起き、自殺率は依然として高い。

そして何より、首都直下地震が30年以内に起こる確率は70%を超えています。

つまり、「安全」とは客観的な事実ではなく、“慣れ”と“安心感”の産物でもあるのです。

私たちは「安全な日本」と思うことで、無意識に外の世界を“危険な場所”として位置づけているのかもしれません。

⑤制度という見えない壁

最後に、もっと構造的な問題――制度の壁です。

日本では、「日本人として生まれ、日本で働き、日本で死ぬ」のが“普通”とされています。

政治学で学ぶ「主権国家」という概念を思い出します。

ある領域内で暴力を独占し、対外的に一つの人格として振る舞う――

この仕組みが、かつて琉球やアイヌの文化を吸収し、“日本人”という枠に統合していった。

21世紀になった今も、その構造は形を変えて残っています。

たとえば、日本の在外邦人は全人口の約1%

インドやブラジル、ドイツ、スウェーデンなどでは、

国籍を保持したまま海外で暮らす人が多く、二重国籍や海外移住への支援も充実しています。

一方、日本では社会保障制度が国内居住を前提としており、

海外在住者は年金や医療保険などの恩恵を受けにくい。

さらに、日本の社会保障は企業に強く依存しており、

正社員には手厚い一方で、フリーランスや非正規雇用者への保障は極めて脆弱です。

この「企業にぶら下がることでしか守られない構造」こそが、

人々を国外に出にくくしている最大の要因の一つだと感じます。

⑥小さな島国の“見えない鎖”

こうして見てくると、私たち日本人が外に出にくいのは、

経済的な問題よりもむしろ、文化・心理・制度の三層構造によるものだとわかります。

  • 「海外=異世界」という文化的な思い込み
  • 「安全で豊かな日本」という心理的な枠
  • 「企業依存型社会保障」という制度的な束縛

これらが重なり合って、

“出ること”そのものを特別にしてしまっているのです。

私は、パリで暮らすうちにそのことを痛感しました。

外の世界は決して完璧ではないけれど、

「出てみないと見えない現実」が確かにあります。

そして日本という国の構造を外から見たとき、

初めて「自分がどんな仕組みの中で生きていたのか」がクリアに見えてきたのです。

6、勉強はしたほうがいい。でも、そのゴールは「高い地位や良い肩書き」じゃない

留学中、とある授業で印象的な話がありました。

それは、「日本のニートは高学歴だ」というテーマを真剣に論じる教授の講義でした。

最初は不思議に思いましたが、授業を聞くうちに次第にその意味が見えてきました。

日本では、「勉強して、いい大学に入り、いい会社に就職する」という価値観が、

古いと批判されながらも、依然として社会の中心に居座っているのです。

実際、そう言われながらも“いい大学”に入った人の多くは、

“いい会社”に入り、出世競争の中で生きていきます。

結果として、「学ぶこと=社会的成功のための踏み台」という考え方は、

いまだに日本社会の深層に根強く残っています。

私がその授業から受け取ったメッセージは、こうでした。

「本気で考えて学び、日本社会の構造に疑問を持ってしまった人ほど、

この社会で生き抜く気力を失いやすい。」

つまり、知識や思考力を身につけた結果、

社会の不条理や閉塞感が見えすぎてしまい、

そのルールの中で“頑張る意味”を見出せなくなってしまう――そんな現象です。

背景には、「学びのゴール」が誤って設定されていることがあります。

日本では、勉強の先に「高い地位」「安定した職」「世間的成功」があるとされがちですが、

それは社会が作った外部基準にすぎません。

本来、”学ぶことの本質は“よりよく生きるために視野を広げること”だと私は思います。

他者や世界を理解し、自分の価値観を問い直し、

そのうえで「自分はどう生きたいのか」を見つけていく――それが“学び”の意味のはずです。

勉強をして損をすることは、決してありません。

ただし、その努力の果てに待つのが「いい会社」や「安定した肩書き」だけだとしたら、

それはあまりにももったいない。

知識や思考は、誰かに評価されるためではなく、自分が自由に、誠実に生きるために使うものです。

だから私は、これからも学び続けたいと思っています。

「いい会社」や「立派な肩書き」のためではなく、

世界を広く見て、深く知るために。

最後に

私は、本当にフランス留学に挑戦して良かったと思っています。

ただそれは、就活で有利になるとか、語学が上達したとか、

“かっこいい経歴”が手に入ったからではありません。

それよりも大きかったのは、自分の人生そのものについて深く考える時間を持てたことです。

20代前半というのは、誰にとっても「人生を問い直す時期」であるべきだと感じます。

周りを見てもそうですし、歴史や世界を見渡しても、若者が悩み、考え、模索することはごく自然な営みです。

そんな中で、好きなことを学び、

いろんな人と出会い、考え続けた時間は、

間違いなく一生の財産になりました。

このような時間を「モラトリアム期間」と呼びますが、

実際には、世界中の多くの人にとってそんな余裕はありません。

生活のために働き続けなければならない人たちがたくさんいます。

一方で、ヨーロッパの多くの学生は、この時期に旅をしたり、

趣味に没頭したりして、自分の生き方を探しています。

それは確かに贅沢なことかもしれません。

けれど、日本でも「とりあえず大学に進学する」ことができる環境にある私のような人は、

実はそれだけでとても恵まれています。

もしこれを読んでいるあなたがそんな立場にあるなら、

一度立ち止まって、自分の“好き”や“疑問”を追いかけてみてほしい。

それは必ずしも留学である必要はありません。

旅でも、読書でも、人との対話でもいい。

挑戦の形は自由であり、“考える時間”こそが、人生を豊かにしてくれる。

私は、パリでの一年を通してそれを実感しました。

世界の広さを知り、自分の小ささを知り、

そしてそれでも生きていこうと思えるようになった。

だからこそ今、

どんな人にも「自分なりの挑戦」をしてほしいと、心から思います。

……最後まで読んでくれたあなた、ありがとう。まさか読んでるとは思いませんでした(笑)

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