【世界の名言】個人的に刺さった外国人の名言5選
人間は面白いもので、心持ち一つ、考え方一つで目の前の世界がどのように見えるか、そしてそれをどのように感じられるかが変わるものです。
自分というものは、一番よく関わる周囲5人に引っ張られていくとはよく言いますが、私はそれは考え方の枠組みや生き方がその5人に自然と影響され、似てくるからだと考えています。
これは良い悪いというよりも「それが人間というものだ」ということなのでしょうが、一方で時に周囲とは違った考え方に刺激を受け、参考にすることも大切だと私は思います。だからこそ読書をしたり、新しい人との出会いの場を設けることは豊かな考え方や生き方につながるのではないでしょうか?
私は言語を学び様々な国の人と話したり旅をする中で様々な人たちと会い、言葉を交わしてきましたが、その中で今でもふと思い出すことのある個人的な「名言」をいくつか紹介したいと思います。彼らは哲学者でも思想家でもありませんが、その時の私にすごく刺さる言葉を何気なく言ってくれた人たちです。
完全に個人的な感覚と後味で選んだ「名言」なので、「だからなんだ」という人もいるかも知れまえん。ただ、日本語を母語とし、日本社会で生まれ育った私と同じ境遇の誰かも同じように名言と感じるかもしれない。そう思ったので書いてみます。
※外国語で聞いたものは私の印象と文脈を踏まえ日本語に意訳してあります。
下り坂
「ジェットコースターのような人生」とよく例えられますが、それは波乱万丈の人生、とても良いこともあれば、最悪のことも起こるというニュアンスで私は考えていました。あくまでそのジェットコースターにおいて楽しいのは「頂点」であって、「どん底」は最悪でしかないと。
一方でモロッコで聞いたある人の考え方は違いました。
ジェットコースターで楽しいのって下り坂じゃん
そう。聞いた瞬間は笑いが止まらなかったことを覚えていますが、ふとしたときに思い出してしまう言葉です。上り坂は順調のように見えても、実は落ちる恐怖や緊張感が漂っています。安定は積もれば積もるほど手放したくなくなるもの。ジェットコースターで本当に充実感があるのは下り坂です。ん?それを楽しめるのは安全レバーがあるから?じゃあその安全レバーはなんでしょうか?何にせよ、下り坂を笑顔で楽しむ豪快な姿勢は誰の人生にも一度は必要なことかもしれません。
非常食
日本で働くあるインドネシア人との会話の最中。彼女は日本に移り住んで1年。その朝、偶然南海トラフ地震の予兆(?)に関するニュースをテレビで見たので、非常食や防災バックについて説明してみたところ、予期せぬ方向からKOされてしまいました。
未来のことなんかわからへんから決めつけたらあかんよ。ストレス溜まるやん。
大阪弁を流暢に話す彼女の一撃に対し、地震の発生確率が科学的に算出されていることや、その予防の効果について説明するも、「ストレス溜まるやん」の一点ばり。「こりゃダメだ」そう思いながらも自分の中のある種の執着のようなものに気づかされた瞬間でした。
もちろん防災はしたほうがいいし、それは自分や自分の家族のためでもあるし、準備を怠ったことが万一の時に周りの人を巻き込んだりする可能性もあります。論理的に、客観的に確かにそれは正しいです。でもこれを考えているのは人間。確かに「ストレス」は溜まっているかも知れないと感じました。
日本の防災は世界的に見ても進んでいると言われています。それは災害大国であるということも関係していますが、災害に限らずこの国は「備え」というものに対して真剣に取り組んできました。「観察し、予測し、準備する」
これは私が小学校の時の野球クラブの監督が繰り返し言っていた教訓でした。その監督は一流企業で働くバリバリのビジネスマンでした。
「5分前行動」
何かが起こるかもしれないから5分前には集合しましょう。そうすれば時間を守れます。小学校の宿泊行事で部屋の班長だった私はこの先生の言葉を素直に捉え、5分前の5分前行動をすれば5分前にも遅れないという訳のわからない理論を打ち出し部屋の友達を困らせていました。
不測の事態を予測して備える文化は生産性や組織の規律という観点では確かに優れています。一方で、それは場合によってはやり過ぎで、儚い人間を過大評価することに繋がりかねません。「備え」に優れ、それを徹底的に教え込まれた私たちは、その二面性を認識しておく必要があるのかもしれません。
仕事のやりがい
新卒で働こうとする真面目な大学生が就職活動を始め、説明会に参加し出すとどうやら「自己分析」をしないといけないらしいということがわかります。
自己分析はこれまでの自分の人生を振り返り、その決断や行動から自分の核となっている性質や価値観を洗い出し、これからどのような会社で何をしたいかを決めるというものです。また、先輩社員との交流や質問会、座談会などを通じて社会人の思想を「貴重なお時間をいただき」学ぶ訳ですが、その中で「やりがい」という言葉が頻繁に出てきます。
「この仕事のやりがいはなんですか」「どんな時に〜の仕事のやりがいを感じますか?」
やりがいとはすなわち「物事を行うことに対する充足感や達成感、手応え」
就活生は真面目であればあるほど、自分にとっての「やりがい」は何だろう。と悩みます。
私はある程度、「そんなもん働くのは稼ぐためだろ」と思っていましたが、そんな就活初期に聞いたフランス人の言葉がこちら。
働きたくない?だから給料あるんだろ(笑)
なんという爽快感。確かに「働くのは金のため」と分かっていても、どうにかしっくりこなかったんです。なぜか自分がサバサバしているような。別にそれでもいいんですがそれでも違和感があった。そんな時に聞いたこの言葉は資本主義社会の構造をバッチリ言い表していると感じます。資本家と労働者という単純なモデルで考えると、資本主義社会とはつまり、資本家がお金をもっと増やすために労働者に手伝ってもらうこと。その対価にお金を少しだけ渡すわけです。そもそもお金をあげなければみんな働きません。お金をもらうから働くんです。
当たり前ですが、忘れてはいけないことです。「働くのは金のため」であるのは「金をもらわなければ誰も働かない」構造があるから。
今何してる?
挨拶や会話の一言目はその社会のことをよく表しています。「お疲れ様です」と言いますが、それは努力し、自分を犠牲にしていることを前提にそれを美化しているのかもしれません。まあこれは極端に冷めた見方ですが。
日本語を習いたてのアメリカ人が”How are you?”は日本語でなんというかとよく聞きます。「元気ですか。」と教える日本人もいるでしょうが、別に元気か否かを聞くフレーズを聞きたいというよりは、会話の切り出し方を聞きたいのだと思うのでこれは少しおかしいと思います。
東南アジアでは「もう食べましたか。」がこの”How are you?”としてよく使われますし、アフリカ東部のスワヒリ語では”Hujambo?”「あなた問題ないの?」と聞き、問題がない場合は”Sijambo”「私は問題がないよ」と答えます。
挨拶というのはこのように社会が重視している価値観にある程度沿ったものなのかもしれません。
「努力すること」「元気であること」「しっかり食べること」「特に問題がないこと」
ん?なんか日本浮いてる?(笑)←「おはよう」とか「こんにちは」もあるよね。
ところでインターネットが発達した今、距離が離れていても電話を通じてコミュニケーションが気軽に取れるようになりました。
そんな中よく使われる会話の切り出しが「今何してる。」です。
相手が何をしているのか、そしてどんな状態であるのかをぼんやりと聞く言葉ですが、この返答方法にも「生き方」が滲み出るものだと私は感じています。
あるインドネシア人に私が「何してる?」と電話で聞いたところ彼はこう言いました。
座ってる。
インドネシア語では「ゴロゴロしてる、まったりしてる」という感じでよく使う表現なのですが、よく考えてみると現代日本ではこのような表現は生まれないのではと思ってしまいます。もちろん一般化はできませんが、少なくとも私の生きる東京という環境においては人は忙しく、何か充実した活動をしているべきだというのが人々の基本原理であるように思います。それは仕事であっても休日であっても同じで、だからこそ「ああ、今日結局何もしなかった」という嘆きの言葉が聞こえてくるわけです。
さて、私には「座ってる」という表現が基づく原理は東京のあくせくした原理とは正反対に思えます。
今何をしているのか。俺は「座ってる。」ちゃんと俺はこの世界に堂々と座って生きている。この表現にはそんな深い根っこがあるように思えます。
確かに利益追求の観点から見ると、座っていることは「何もしていない」こと同義です。ただ、「座っている」ことを「座っている」と言えず、「何もしていない」と捉えてしまうならば、その人は価値観の根幹を生産性に奪われているかもしれません。
定年退職おめでとう
スペインの田舎。おじさんたちが集まる飲みの場で。
運よく会話の輪に入れてもらった旅人の私は、定年退職をつい先日迎えたおじさんたちに聞いてみた。
「退職まで、仕事は、んーどうやって働けばいいんですか?どういうメンタルで?何十年間も」
ある一人が大笑いしながら言った。
そんなのクソ食らえ笑
定年を迎えてセカンドライフを自由気ままに楽しむ仲良しグループ。彼らに聞けば何か深くて良いことが聞けるのではと期待値が上がっていた私でしたが、この言葉を聞いてハッとさせられました。何か綺麗なキャリアや働き方、やりがいを求めて、いつか充実した仕事が見つかるんじゃないか。そう思っている中で、もちろんそういう人もいるかもしれないけれど、その答えがなく、「我慢」でもいいんだと思えた瞬間でした。
そのmierda(クソ)という言葉の中に忍耐の結晶が詰まっているように感じられました。厳しい現実を乗り越えてきた、理不尽なこともあったでしょう。口だけならなんとでも着飾って言えるだろうに、自分の過去を胸を張って直視して、通りすがりの目を輝かせて聞いた私に言ってくれたおじさんの笑顔は忘れられません。(美化しすぎ?笑)
まとめ
面白い点は、彼らはおそらくこれを名言だと思っていないことです。これらの言葉はあくまで私にとっての名言で、私に刺さった彼らの当たり前なのだと思います。
何か引っかかっていて、誰かが言語化してくれるのを待っていた。そんな言葉たちでした。
みなさんの中での「名言」はありますか?ぜひ教えてください!
